小須田潤太選手のプロフィールと競技の歩み
小須田潤太選手は1990年生まれ、埼玉県所沢市出身のパラスノーボーダーです。2012年、21歳のときに仕事中の居眠り運転で交通事故を起こし、右脚の大腿部(太もも)を切断しましたが、その後スポーツの力を通じて新たな人生を切り拓きました。
現在はオープンハウスグループに所属し、世界の強豪と対等に渡り合う日本代表のトップアスリートとして活動しています。
小須田潤太選手のスノーボードとの出会いは2017年で、2018年からスノーボード競技にも取り組んでいます。それ以前はパラ陸上競技にも取り組んでいましたが、スノーボードの疾走感と競技性の高さに魅了され、冬季競技の道を選びました。
持ち前の身体能力と負けず嫌いな性格を武器に、短期間で頭角を現したのです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1990年10月5日 |
| 出身地 | 埼玉県所沢市 |
| 所属 | 株式会社オープンハウスグループ |
| クラス | SB-LL1(下肢障がい) |
| 主な種目 | スノーボードクロス・バンクドスラローム |
競技クラスであるSB-LL1は、下肢に重度の障がいがある選手が対象となります。義足を巧みに操り、雪面からの衝撃を全身で受け止めながら滑走する技術は、並大抵のトレーニングでは習得できません。
彼は日々、雪上だけでなく陸上トレーニングにも励み、世界に通用する肉体を作り上げてきました。
北京2022パラリンピックでの活躍と入賞

小須田選手にとって大きな転機となったのが、2022年に開催された北京2022パラリンピック冬季競技大会への出場です。初めての冬季パラリンピックで、スノーボード種目に出場しました。
スノーボードクロスでは7位に入賞しました。メダルには届かなかったものの、世界の舞台で確かな結果を残しました。
~こすだ じゅんた●1990年10月5日、埼玉県生まれ。2016年オープンハウスグループ入社。2012年に交通事故で右大腿部を切断。リハビリ後、イベントをきっかけにパラ陸上を始める。2018年からパラスノーボードにも挑戦。東京2020パラリンピック・北京2022冬季パラリンピックで入賞を果たす。’21-’22シーズンからスノーボードに専念し、2023年W杯ではスノーボードクロス(LL1)で初優勝に輝く。2025年の世界選手権では、日本人パラスノーボーダーで初の金メダル獲得(1位)。~
バンクドスラロームでも10位となりました。初めてのパラリンピックを終えた直後、本人は「やりきったなと、それが一番かな。今持てる力は出したと思います」と語っています。
~「やりきったなと、それが一番かな。今、持てる力は出したと思います」
右大腿義足の小須田潤太(オープンハウス)は、初めての冬季パラリンピックとなる北京大会をそう振り返った。スノーボードの日本代表6人のひとりであり、スノーボードクロスでLL1(重度下肢障害)7位入賞、バンクドスラロームでは10位だった。~
この経験は、その後の競技活動や次の目標につながる重要な出来事になったと考えられます。
パラスノーボードの魅力!クロスとバンクドスラローム
パラリンピックのパラスノーボードは、スノーボードクロスとバンクドスラロームの2種目で実施されています。
それぞれの種目には異なる魅力があります。スノーボードクロスは、バンクやウェーブ、キッカー(ジャンプ台)などがあるコースで、予選はタイム、決勝は複数選手の一斉スタートで順位を競います。
選手同士の接触や転倒が起こりやすく、「雪上の格闘技」とも言われます。
- 一瞬の判断力が勝敗を分けるスリリングな展開が魅力です。
- 障がいの特性に応じたバランス感覚とパワーが試されます。
- 選手が空中で大きく舞うジャンプシーンは見応え抜群です。
一方のバンクドスラロームは、バンク(傾斜のついたコーナー)が連続するコースを一人ずつ複数回滑走し、ベスト(最速)タイムで順位を競います。正確なエッジ操作とスムーズなライン取りが求められます。
絶望からの再起!事故を乗り越えた不屈の精神

小須田選手は、21歳のときに仕事中の交通事故で右脚を切断しました。事故後はリハビリを経て、義足での生活を始めています。
その後、義肢装具士や理学療法士らに勧められて参加した「ランニングクリニック」で、パラリンピックメダリストの山本篤選手と出会い、競技への意欲を高めました。義足での生活を重ねながら、スポーツにも本格的に取り組むようになりました。
スノーボードに取り組み始めた当初は、義足の調整などで苦労もあったと語られています。そうした課題を乗り越えながら、競技力を高めていきました。
- 交通事故を経て義足での生活を始め、スポーツへの挑戦を続けています。
- ランニングクリニックで山本篤選手と出会い、競技への意欲を高めました。
- 義足の調整など課題と向き合いながら、競技力を伸ばしていきました。
競技では義足を使いこなすことが重要で、用具や身体の状態に合わせた調整が必要だと紹介されています。競技への挑戦を続ける姿勢が、現在の活動につながっています。
ミラノ2026への挑戦!小須田選手が描く次なる夢
現在の小須田選手が最大級の目標として掲げているのが、2026年に開催されるミラノ・コルティナ冬季パラリンピックです。
現在は世界各地で開催されるワールドカップシリーズへ精力的に参戦し、着実にポイントと経験を積み重ねています。大きな自信の裏付けとなっているのが、2025年に行われた世界選手権での快挙です。
彼はこの大会のバンクドスラロームにおいて、日本人パラスノーボーダーとして初の金メダル(世界選手権優勝)を獲得しました。なお、スノーボードクロスは5位でした。
この勝利は、世界の舞台で結果を示した出来事となり、ミラノ大会に向けた大きな追い風になっています。現在は「追われる立場」としてのプレッシャーも力に変え、さらなる高みを目指しています。
ミラノ大会に向けて、競技力の底上げに取り組んでいます。特にワールドカップなど国際大会を通じて経験を重ねています。また、海外のコースに対応するための遠征や調整を重ね、実戦での対応力を高めています。
彼の飽くなき探究心は、道具である義足の調整にも及び、コンマ一秒を削り出す努力を惜しみません。彼の挑戦は、同じ障がいを持つ人々だけでなく、夢を追うすべての人に勇気を与えています。
「まずはミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックにおいて、2種目で、金メダル獲得です。」という言葉のとおり、ミラノの大舞台で金メダルを目指します。
まとめ

小須田潤太選手の歩みは、困難に立ち向かうすべての人に「再起の可能性」を教えてくれます。義足で雪上を舞う圧倒的なスピード感と情熱は、観客を一瞬で虜にする魅力にあふれています。
パラスノーボードの枠を超え、進化を続ける一人の挑戦者として、彼の勇姿をぜひ追いかけてみてください。2026年ミラノ大会での金メダル獲得という夢の実現に向けて、私たちも共に熱いエールを送り続けましょう!
あとがき
小須田選手の挑戦を知り、困難に直面しても何度でも立ち上がる人間の底力に深く感銘を受けました。義足のライダーとして雪原を切り拓く姿は、立ち止まっている私たちの背中を優しく、かつ力強く押してくれます。
彼の活動を追うことは、自分自身の可能性を信じるきっかけにもなるはずです。2026年のミラノ大会で彼が最高に輝く瞬間を、皆さんと共に見届けられる日を心から楽しみにしています。


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