競馬におけるダート競走の最高峰の一つ、フェブラリーステークスは、毎年春の訪れを告げるJRA最初のG1レースとして、数々のドラマを生み出してきました。砂の上を駆け抜ける猛者たちの熱い戦いは、多くのファンの心に鮮烈な印象を残し続けています。世代交代の激闘や、驚きの大波乱、そして絶対王者の貫禄を示す圧巻の勝利など、その歴史は競馬の醍醐味に満ちています。本記事では、思わず見返したくなるフェブラリーステークスの歴史に残る名レースを振り返ります。
1. フェブラリーステークスとは?ダート王決定戦の基礎知識
フェブラリーステークスは、日本のダート競走において最も権威あるレースの一つです。毎年2月に行われることからこの名前がつけられており、JRAの平地G1レースの中で年明け最初のG1として位置づけられています。
施行されるのは東京競馬場のダート1600メートルで、ダートマイル王を決定する重要な一戦です。
ダート競馬の最高峰としての歴史と意義
このレースは、1984年に前身のフェブラリーハンデキャップとして創設され、その後フェブラリーステークスを経て、1997年にG1に昇格しました。
G1昇格以前からダートの主要競走として重要な位置を占めていましたが、G1となってからは名実ともに日本のダート競走の頂点に立つレースとして認識されています。
このレースの勝者には、その年のダート界の主役として、海外のダートG1レース、特にドバイワールドカップへの挑戦権や、その後の国内ダート統一G1路線における中心的な役割が期待されます。
レースが行われる東京競馬場のダート1600メートルは、スタートから最初のコーナーまでが長く、スピードが求められるコースです。
このコースで争われるため、過去の勝ち馬には、単なるスピード馬ではなく、厳しい流れにも対応できる総合力の高い馬が名を連ねています。
このレースをきっかけに、多くの個性的なダート馬がファンに愛され、競馬界全体を盛り上げる存在となっています。フェブラリーステークスは、競馬の魅力を知る上で欠かせないレースの一つです。
1984年に創設された、ハンデキャップのGⅢ「フェブラリーハンデキャップ」が本競走の前身で、現在JRAで行われているダート重賞競走では東海Sと並んで一番古い歴史を持ち、創設時から東京競馬場・ダート1600メートルを舞台に行われている。その後、1994年にGⅡに格上げのうえ、負担重量を別定に変更し、レース名も「フェブラリーステークス」に改称された。
2. ファンを熱狂させた激戦:アドマイヤドンが芝・ダートG1を制覇(2004年)

2004年のフェブラリーステークスは、芝のG1である朝日杯フューチュリティステークスを制した経歴を持つアドマイヤドンが出走し、大きな注目を集めました。
当時、芝とダートの両方のG1を制覇した馬はアグネスデジタルなどごくわずかであり、アドマイヤドンがその偉業を達成できるかどうかが最大の焦点でした。
芝の頂点を知る馬の挑戦
アドマイヤドンは、芝のG1を勝利した後、ダート路線に転向し、ジャパンダートダービーやJBCクラシックなど、統一G1レースを次々と制覇していました。
JBCクラシックの勝利により、アドマイヤドンはアグネスデジタルと同じく、芝・ダート両G1制覇という偉業を達成しました。
フェブラリーステークスでは、スタートから中団外目から進んでいったアドマイヤドンが、道中スムーズな位置取りから進め、最後の直線で力強い末脚を繰り出しました。
ライバルたちとの激しい追い比べを制し、見事にフェブラリーステークスを制覇しました。
3. 地方競馬の意地:トランセンドとフリオーソの熱い叩き合い(2011年)
2011年のフェブラリーステークスは、地方競馬所属のフリオーソが中央の絶対王者と目されたトランセンドに挑んだ、熱い激闘として語り継がれています。
このレースは、中央・地方のトップホース同士が意地とプライドをかけてぶつかり合った一戦でした。
「ダートの怪物」と呼ばれた馬の挑戦
トランセンドは、前年のジャパンカップダートを制し、このレースでも単勝1番人気に推される絶対的な中心馬でした。
一方、フリオーソは、東京大賞典など統一G1を複数制覇し、中央勢を相手に互角以上の戦いを続けていました。ファンは、中央の王者と地方の雄との直接対決に大きな期待を寄せていました。
レースは、トランセンドが先頭で堂々とした逃げを打ち、ライバルたちを突き放しにかかります。しかし、直線に入ると、後方からフリオーソが猛烈な追い込みを開始しました。
フリオーソは、トランセンドに猛追し、一時はその差を大きく詰めましたが、1馬身半及ばずの2着に敗れました。
結果としてトランセンドがG1連覇を果たしましたが、フリオーソが見せた鬼気迫る追い上げと、地方馬としての意地が、多くのファンの胸を打ちました。
このレースは、中央と地方という垣根を越えたダート競馬の熱さと、勝負の厳しさを象徴する名勝負として、今もなお色褪せることのない輝きを放っています。
4. 記録的な大波乱:単勝16番人気コパノリッキーの奇跡(2014年)

2014年のフェブラリーステークスは、史上稀に見る大波乱の決着となり、競馬の予測不可能な魅力を改めてファンに示しました。
この年の優勝馬は、なんと単勝16番人気という最低人気だったコパノリッキーでした。
誰も予想しなかった大穴の激走
当時のコパノリッキーは、骨折休養明けの10着、9着と大敗を喫しており、戦前の評価は非常に低く、単勝オッズは272.1倍という大穴でした。
多くのファンや評論家は、ホッコータルマエやベルシャザールといった実績馬を中心に予想を組み立てていました。このような状況で、コパノリッキーが勝利するとは、誰も予想していませんでした。
レースは、人気馬たちがけん制し合い、ホッコータルマエに軍配が上がりそうだったその時に二番手追走から直線でいち早く抜け出していたコパノリッキーがいました。
直線に入ると、コパノリッキーは後続の追撃を見事に振り切り、そのまま先頭でゴールしました。2着にはホッコータルマエが入ったものの、コパノリッキーの勝利は、単勝16番人気がG1を制覇するという、まさに奇跡的な出来事でした。
この大波乱は、配当においても大きなインパクトを残し、競馬のロマンを強く感じさせる一戦となりました。
5.亡き父に捧ぐ雄姿:ゴールドドリームの力(2017年)
2017年のフェブラリーステークスは、感動的なレースとなりました。このレースの前日には名種牡馬が亡くなってしまうというファンの悲しみに包まれた後でした。
ですが、このレースの勝者はゴールドドリームという競走馬が勝ちました。この勝利により多くファンが感動しました。
悲願と雄姿
ゴールドドリームは、最初の新馬戦からまさにダート一筋という馬でした。フェブラリーステークスの前走では、なかなか勝ちきれずG1級まであと一歩のところということもありました。
フェブラリーステークスは、彼にとってJRAのG1タイトルを獲得するという重要な目標でした。
レースの前日、彼の父である名種牡馬ゴールドアリュールが亡くなってしまうという、ファンにとっては悲しい報せでした。
そんな悲しみに包まれたレースでは、レースを先導するインカンテーションやコパノリッキーを前に見て、モーニンとベストウォーリアを内に置き、後方にはノンコノユメ、サウンドトゥルー、カフジテイクらを従えていました。
4コーナーで外に持ち出されたゴールドドリームは、馬場の真ん中を堂々と突き抜けていく。ベストウォーリアが内から、カフジテイクが外から猛追するも、ゴール前で手前を替えたゴールドドリームは最後のひと伸びを披露し1着でゴールしました。
この勝利によって、亡きゴールドアリュールに捧ぐ悲願のG1初制覇となりました。このレースはファンの心に刺さった物語となったことでしょう。
まとめ

フェブラリーステークスは、日本のダート界の頂点を決める舞台で、数々の名勝負を生んできました。
2004年のアドマイヤドンは史上2頭目の芝・ダート両G1制覇を達成し、万能ぶりを証明し、2011年のトランセンドは中央と地方の意地がぶつかり合う激闘を制しました。
さらに、2014年のコパノリッキーによる大波乱の勝利や、2017年ゴールドドリームの亡き父に捧ぐ優勝など、ダート競馬の熱い歴史を今に伝えています。
あとがき
ここまで読んでくださりありがとうございます。フェブラリーステークスの歴史に残る名レースを振り返り、心が熱くなったのではないでしょうか。一頭一頭の馬が織りなすドラマは、競馬の醍醐味と私は思います。
私はうつ病を患っていますが、辛いときにはテレビをつけ競馬を見ていました。苦難を味わった騎手や競走馬たちが、ビッグレースに勝つと元気がもらえます。こんな風にいつかは辛いことに終わりが来て、喜びに満ち溢れることができると私は考えます。


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