耳の聞こえないアスリートの世界大会、デフリンピック。その空手競技で世界一に輝いたのが、小倉涼選手です。2022年のブラジル大会で、形と組手の二種目で金メダルを獲得するという快挙を成し遂げました。実は、彼女が空手を始めたきっかけは、国民的アニメ『ドラゴンボール』だというから驚きです。この夢中になれる純粋な憧れが、どうやって世界一という確かな実績へと繋がったのでしょうか。小倉選手のこれまでの歩みと、次なる目標である2025年東京デフリンピックでの連覇への挑戦について、その強い信念と努力の軌跡に焦点を当てて詳しくご紹介します。
原動力は国民的アニメ「ドラゴンボール」空手との出会いと成長
小倉涼選手は2000年に埼玉県で生まれました。生まれつき耳が聞こえませんが、そのハンディキャップが彼女の空手人生の妨げになることはありませんでした。
彼女が空手と出会ったのは4歳の頃。きっかけは、お兄さんと一緒に道場を見学に行ったことでした。そこで見た「道着」のかっこよさに惹かれたのが最初の一歩です。そして、その憧れを揺るぎない情熱に変えたのが、大好きなアニメ『ドラゴンボール』です。
この「好き」という真っ直ぐな感情が、小倉選手を空手の道へと導きました。最初は形(かた)を中心に練習を重ね、数々の大会で入賞するなど才能を発揮しました。
彼女は、好きという純粋な楽しさを原動力にすることで、厳しい練習も乗り越えてきたのです。
高校は一般校、その後は大東文化大学へ進学し、競技への取り組みをさらに深めました。特に大学時代は、それまで中心だった形に加え、組手(くみて)にも挑戦し始めます。
組手は、相手と直接対戦し、瞬時の判断と反応が求められる競技です。この新しい挑戦が、後の世界大会での二冠達成へと繋がる大きなターニングポイントとなりました。
小倉選手のキャリアの土台は、「好き」という内なる動機と、決して立ち止まらない継続的な成長の姿勢によって築かれました。
「わたしが空手を始めたのは、4歳のとき。お兄ちゃんといっしょに道場を見に行って、『道着ってかっこいい!』と思ったのがきっかけです。アニメ『ドラゴンボール』が大好きで、『わたしもあんなふうに蹴ってみたい!』と、ワクワクしながら道場に入門しました。」
デフリンピックブラジル大会の偉業 形と組手の「二冠」達成

小倉涼選手は、2022年にブラジルのカシアス・ド・スルで開催された第24回夏季デフリンピックに初出場しました。世界最高峰の舞台で、彼女はいきなり歴史的な偉業を成し遂げます。
その偉業とは、女子個人形と女子個人組手(61kg級)の二種目で金メダルの二冠を達成したことです。これは、空手競技において日本選手団の今大会第1号となる金メダルであり、日本に大きな歓喜をもたらしました。
デフリンピックの空手競技は、聴覚障害を持つ選手のために特別なルールや工夫がされています。
特に組手では、審判の「止め!」の合図が聞こえないため、赤いライトなどの視覚情報による合図が必要です。この音のない組手という特殊な環境で、小倉選手は卓越した能力を発揮しました。
初めてのデフリンピック出場で、二つの金メダルを獲得するという結果は、彼女の努力の証であり、プレッシャーを跳ねのける強い精神力の現れです。
金メダル獲得について、彼女は「日本に帰ってから、いろいろな方からお祝いのコメントをいただいたりしたときに、“あっ、私は勝ったんだ”ってちょっと感じたくらい(笑)。世界一になったんだという実感は、今も実はないんです。」と語っています。
この二冠達成は、デフアスリートがハンディキャップを乗り越え、世界トップレベルで戦えるという 可能性 を世界に示しました。
教師とアスリートの両立 2025年東京デフリンピックへの意気込み

2022年のデフリンピックで二冠を達成した後、小倉涼選手は競技生活を続けながら、母校で教師として働き始めました。
教師として子供たちの教育に励みつつ、アスリートとして世界の頂点を目指すという、二足のわらじを履く生活は、並大抵の努力では実現できません。
彼女の現在の目標は、2025年11月に東京で開催される第25回夏季デフリンピックでの連覇です。自国開催の舞台で再び金メダルを獲得を目指しています。
東京大会では、日本選手団の旗手も務めることが決定しています。旗手という名誉ある役割は、彼女がデフスポーツ界における象徴的な存在であることを示しています。
- 競技と教育の両立: 多忙な日々の中でも、効率的な時間管理と体調管理を徹底し、教師とアスリート双方の専門性を高めています。
- 挑戦への姿勢: 「雨垂れ石を穿つ」(小さな努力の積み重ねが大きな結果に結びつく)という言葉を大切にしており、地道な努力の先に大きな夢があることを信じています。
- メッセージの発信: 自身の活躍を通して、聴覚障害を持つ子どもたちや、困難に立ち向かっている全ての人々へ勇気を与えたいと願っています。
東京デフリンピックは、小倉選手にとって、共生社会の実現という社会的なメッセージを発信する重要な機会となります。
彼女の活躍は、デフスポーツへの理解と関心を深め、より多くの人が平等な機会を持てる社会へと繋がっていくでしょう。
小倉涼選手から学ぶ 夢を追い続ける「強い心」の作り方
デフリンピックという世界最高峰の舞台で二冠を達成した小倉涼選手の実績は、単なる技術の勝利ではありません。その裏には、誰にも真似できない「強い心」と、純粋な目標を追い続けるひたむきな姿勢があります。
彼女のキャリアと競技生活は、私たちの日々の挑戦や仕事における目標達成において、心のあり方を教えてくれます。
現在、教師として次の世代の指導にあたる小倉選手は、この強い心の作り方を伝えることが使命だと感じています。彼女が大切にする「雨垂れ石を穿つ」という言葉は、私たち全員が持つべき挑戦への心構えです。
私たちもその言葉を胸に、日々の地道な努力を大切にし、2025年東京デフリンピックでの活躍を心から応援しましょう。彼女の挑戦は、私たち自身の挑戦への最も力強い応援歌となるでしょう。
まとめ

デフリンピック空手で偉業を達成した小倉涼選手は、国民的アニメ『ドラゴンボール』への純粋な憧れを原動力に空手と出会いました。その後の継続的な努力と、形から組手への挑戦が実を結び、2022年ブラジル大会で女子個人形・組手の二冠という確かな実績を成し遂げました。
小倉選手の勝利は、聴覚の壁を乗り越え、ランプといった視覚的情報保障に集中して対応する精神力の賜物です。彼女は現在、教師として教壇に立ちつつ、アスリートとして競技との両立を果たしています。
そして最大の目標は、2025年東京デフリンピックでの連覇です。自国開催の大舞台で再び世界の頂点を目指す彼女の挑戦は、聴覚障害を持つ子どもたちや、困難に立ち向かう全ての人々へ、夢を追い続ける強い心と希望のメッセージを届けてくれるでしょう。
あとがき
デフリンピック金メダリストの小倉選手が、空手を「ドラゴンボール」の蹴りに憧れて始めたというエピソードは、本当にユニークで私の心に響きました。純粋な動機が世界一に繋がるという好例でしょう。
ろう学校の教師として子どもたちを導きながら、現役アスリートとして世界の頂点を目指す姿は、まさに尊敬に値します。
2025年の東京デフリンピックという自国開催の大舞台で、彼女が再び輝き、私たちに勇気と感動を与えてくれることを心から期待しています。彼女の活躍が、多くの人の希望の光となるでしょう。


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