視力を失っても、スケートボードへの情熱は止まらなかった。盲目のスケーター、ダン・マンシーナは白杖を片手に再び滑り出し、ついには障害のある人も利用できる世界初のアダプティブ・スケートパーク「ザ・ランチ」を完成させました。音や触覚を頼りに安全に挑戦できるこのパークは、“誰もが自由に滑れる未来”を形にした場所です。本記事では、その革新的な設計と、マンシーナの挑戦の軌跡を紹介します。
ブラインドスケーター ダン・マンシーナの挑戦
ダン・マンシーナが網膜色素変性症という進行性の目の病気と診断されたのは、彼が13歳の時だったと伝えられています。
熱心なスケートボーダーだった彼は、視力が徐々に衰える中でスケートを続けていたものの、20代前半になると視力の低下が深刻化し、一度はスケートをやめざるを得ない状況になりました。
しかし、約2年の空白期間を経た後、彼は再びボードの上に立つことを決意し、その時から白杖が彼のスケートギアに加わりました。
彼は白杖を使い、街中やスケートパークの障害物を確認したり、アスファルトのひび割れなどの触覚的な目印を探りながら移動するスキルを習得していったとされています。
キックフリップやフェイキーノーズグラインドといったトリックも、白杖を使いながら再び習得していったそうです。この新たな技術によって自信や自立心を大きく高めた彼は、このスケートの楽しさを視覚に障がいのある他の人々にも伝えたいと強く思うようになります。
世界初のアダプティブ・スケートパーク「ザ・ランチ」の誕生

アダプティブ・スケートパークを作ろうという構想は、マンシーナがスケートの世界に戻り始めた初期の段階から、彼の頭の中で芽生え始めていたようです。
そして、この構想が具体化し、ついに世界初のアダプティブ・スケートパークが、ミシガン州デトロイト近郊にある彼の敷地内に完成しました。
彼は、コンクリートで舗装できる広い土地付きの家を購入し、スケートパーク設計会社の協力を得て、障害物の配置計画を練ったとされています。
約465平方メートル弱の広さを持つこのパークは「ザ・ランチ」と名付けられました。この場所は、視覚に障がいのある人たちにスケートの楽しさを教え、彼らにとって「限界のない場所」であってほしいというマンシーナの願いが込められています。
パーク内には、サイズの異なるクォーターパイプ、ローラー、バンクランプ、フラットバー、レッジ、マニュアルパッドやプラットフォームなど、様々な設備が整えられています。
設置された設備は、ギャップが「ガリー」、フラットバーが「マスタング」といったように、カウボーイにちなんだユニークな名前が付けられています。
~マンシーナは、コンクリートで舗装できる広い土地付きの家を購入し、スケートパーク設計会社の協力を得て、障害物の配置計画を立てた。
彼が「ザ・ランチ(The Ranch)」と名付けたこのパークには、さまざまな設備が整っている。サイズの異なるクォーターパイプ、ローラー、バンクランプ、フラットバー、レッジ、マニュアルパッドやプラットフォームなどが設置されており、それぞれカウボーイにちなんだ名前が付けられている。ギャップは「ガリー(Gully)」、フラットバーは「マスタング(Mustang)」、マニュアルパッドは「バーンドアーズ(Barn Doors)」と呼ばれている。~
これらの設備自体は通常のスケートパークにあるものと同じですが、視覚に障がいのある人や車椅子の利用者が使いやすいように、設計に重要な工夫が施されている点が最大の特徴と言えるでしょう。
アダプティブ設計に見る「長さ」と「幅」の工夫
「ザ・ランチ」の設計における最も重要な工夫は、設備が持つサイズ感にあると考えられます。マンシーナは視覚に頼れないスケーターが自分の位置を把握し、体勢を整える時間を少しでも長く取れるように通常のスケートパークの設備よりも長く、広く設計したと説明しています。
視覚で確認できない分、感覚で捉えて自分がどこにいるのかを理解するための「猶予」が必要だという考えに基づいています。
多少ふらついても、修正する余裕があるように意図的に設計されています。このサイズの変更は、スケートボード本来の楽しさを損なうことなく、安全かつ快適にスケートを行うための重要な要素と言えるでしょう。
広々としたスペースは、視覚に障害があるスケーターに心理的な安心感をもたらし、体勢を立て直すための時間的余裕を提供することで、アダプティブ・スポーツにおける設計思想の新しい基準の一つを示すものになるかもしれません。
音と触覚を活用した具体的な仕掛け
パーク内の設備は、ある構造物が別の構造物への道しるべとなるよう工夫されて配置されています。例えば、ローラーのすぐ隣にレッジがあり、スケーターは白杖でレッジをなぞることで自分の位置を把握しながら進むことができます。
そのレッジをたどっていくと、幅広くアクセスしやすいマニュアルパッドにたどり着けるようになっています。この配置は、視覚的な情報がない中でも、順序立てて移動しやすくするための工夫と言えるでしょう。
二つ目の工夫は、音による手がかりの活用です。マンシーナは、障害物の位置や危険な段差を知らせるために、コース内のあちこちに設置できるブザーを用意しています。
ブザーをレッジの両端に置けば、スケーターが障害物のどのあたりにいるかを把握する助けとなり、ギャップの上に設置すれば、ジャンプすべきタイミングを知らせることもできます。
さらに、接着式のフェイクタイルやフェイクレンガを一部のエリアに貼り、触覚で自分の位置を把握できるようにするアイデアも検討されています。
スケートボードでその上を通ることで感触が伝わり、パークのどのセクションにいるかを把握できるようです。
また、視力が一部残っているスケーターのために、障害物をグレーのコンクリートと区別できるようダークグリーンに塗装するなど、色のコントラストも活用されています。
スケートボードの愛を広げる活動

マンシーナの目標は、パークを拠点により多くの人々にスケートボードの機会を提供することにあります。次のステップとして、白杖を使ってスケートを学びたい視覚に障がいがある人を対象としたワークショップを開催することを計画しています。
彼は、視覚に障がいがある人すべてを対象とし、これまでに出会ってきた盲目の子どもがいる親御さんなどに連絡をとって招待したいと考えています。
このワークショップは、スケートボードへの愛を広げ、新たなコミュニティを築くための重要な一歩となるでしょう。
また、彼は自身のパークを将来的には屋内施設化し、ミシガンの厳しい冬でも一年中スケートできるようにしたいという目標も持っています。そして、パークでアダプティブ(適応型)コンテストを主催するという大きな夢も抱いています。
世界各地には視覚に障がいのあるスケーターが存在しており、地域レベルでの大会を開催することで、遠征資金の障壁を乗り越え、スケートボードへの愛を広げる場を確立したいという強い思いがあります。
彼は、今後アメリカ国内だけでなく世界中にもアダプティブ・スケートパークが広がっていくことを願っています。
パリ2024でのエキシビション:認知度向上への大きな一歩
マンシーナは、2024年夏のパリオリンピックのストリートコースで開催されたエキシビションに参加し、アダプティブ・スケートボードの可能性を広げることに貢献しました。
このエキシビションは、現在パラリンピック競技には含まれていないパラ・スケートボードの認知拡大を目的として開催されたとされています。
マンシーナと数人のスケーターが滑走したこのイベントは、アダプティブ・スケートボードが持つ可能性をスポーツファンに垣間見せる機会となったのではないでしょうか。
彼は、満員のスタンドから沸き起こった歓声を聞き、「僕たちはここにいる」ということを示せたという強い実感を得ました。
彼は観客があまりいないかもしれないと予想していたため、スタンドが満員だったことに本当に驚き、感動したと振り返っています。この経験はアダプティブ・スケートボードのさらなる推進力になることを期待されています。
マンシーナのこの取り組みは、障害を持つ人々の可能性を広げたいという彼の強い願いを体現しており、スケートボードの本質的な楽しさを保ちながらアクセシビリティを高めるという設計思想は、スポーツの多様性を示す大きな一歩となるかもしれません。
まとめ

盲目のスケートボーダー、ダン・マンシーナは、視覚に障がいがある人をはじめ誰もが安心して挑戦できる世界初のアダプティブ・スケートパーク「ザ・ランチ」を建設しました。音や触覚を活かした設計は、スケーターが自分の位置を把握しやすい工夫がされています。
彼はワークショップや大会を通じて、スケートがもたらす自信と自由を広め、スポーツの新しい可能性を示しています。
あとがき
視覚を失っても、スケートボードを愛する気持ちは失わなかったダン・マンシーナ。彼の挑戦は、障がいがあっても「できない理由」ではなく「新しい方法」を探すきっかけを私たちに与えてくれます。
アダプティブ・スポーツの広がりは、誰もが自分のペースで輝ける社会への一歩。彼の滑走は、これからも多くの人の心を走り続けるでしょう。


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